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2016年9月21日 (水)

将棋で名人が人工知能に負けたからといって、人間の知能が人工知能に負けたわけではない

(私もそうですが)電王戦では、人間 VSコンピュータという表現を多用しています。しかし、将棋で人間がコンピュータに負けた程度で、人間の知能がコンピュータの人工知能に劣るというわけではありません。「人工知能という呼び方について」(http://perfect-chaos.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-9dc8.html)の記事でも書いたように、概して現在の人工知能技術は「知能」と呼ぶに値しないほど未熟です。

車や人工知能に詳しい方なら言うまでもないでしょうが、既に市販されている自動運転車でも、10年後に一般道で運転席に座らなくていい車が実現する可能性はゼロでしょう。高速道路で運転席に座らなくていい車でさえ10年後に市販される可能性を、私の知る一流自動車会社の関係者が全員否定していました(さすがに私は『そんな風に考えていることこそ、人工知能が日本で軽視されている証拠じゃないですか?』と反論しましたが)。もし「いずれ車は全て自動運転になるから、運転免許を取らない」と言っている大学生がいたら、「それが実現する可能性より、運転免許がないことで困る可能性が遥かに高いから、取っておくといいよ」と私なら助言します。

だから、電王戦を人間×コンピュータの戦いと大げさに考えるから、おかしくなるんですよ。電王戦はたかが将棋の戦いで、人間とコンピュータの頂上決戦でもなんでもありません。電王戦でコンピュータが勝ったところで、まだまだコンピュータは自動運転も自動診断も自動翻訳もできません。

いっそのこと、電王戦はプロ棋士とコンピュータの戦いと考えたらどうでしょうか。プロ棋士とコンピュータのどっちが重要ですか? こう問われて、プロ棋士と答える日本人なんてプロ棋士以外にいるんですか?

電王戦では人間VSコンピュータと強調しすぎなんですよ。将棋くらいコンピュータに負けたっていいじゃないですか。以前の記事に書いたように、ドワンゴは「(権力者の)プロ棋士×(アマチュアの)ソフト開発者」という構図を作るべきでした。

だいたいプロ棋士が将棋ソフトに勝ったとしても、これまでと同じ状況が続くだけです。なんら画期的な事件ではありません。ソフト開発者が勝ってこそ、歴史的な事件になるのです。その人工知能勝利の瞬間を電王戦視聴者のほとんどが望んでいない状況にさせたドワンゴの罪は極めて重い、と言わざるを得ません。

しかし、幸か不幸か、まだ羽生氏も名人もコンピュータに(統計事実として圧倒的に実力で負けているものの)公式には負けていません。今からでもギリギリ間に合うので、ドワンゴは大衆の見方を全力で180°変えてほしいです。

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